労働法の学習・勉強に

最終話 労働法を学ぶ意義

 

遂に最後の回になりました。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ここまで頑張って読んでくれたあなたは、
既に労働法の基本がインストールされていることでしょう。

 

それは知識のことを言っているのではありません。

 

これだけ情報にあふれた社会ですから、
知識などどこに行っても得ることができます。

 

大事なのは、
正しく情報を処理する能力を磨くこと
自分の頭で考えて答えを導き出すことのできるスキルを獲得することなのです。

 

(これはもはや労働法の話というより、普段の心構えの話ですね。人気ブロガーのちきりんさんが書いた『自分のアタマで考えよう―知識にだまされない思考の技術』を一度読んでみてください。なぜちきりんさんが、あれだけの鋭い分析と深い考察ができるのか、その秘密がわかることでしょう。)

 

このサイトを通じて私が言いたかったこと。

 

それは、ある社会問題に対して(完璧な)解答など存在しないということです。

 

法律学というのは、社会科学のひとつです。

 

社会科学というのは、
社会というカオス(混沌とした状態)をいかに切り取り、いかに秩序付け、どう整理し、どう表現するのか追求する学問だと考えています。

 

同じ事象にさまざまな見え方があるからこそ、
経済学、経営学、社会学、法律学、文学などの学問分野が生まれたのでしょう。

 

情報が大量に溢れかえっている時代、
どの情報を信じ、どの情報に従えばよいのか、
決めるのは自分しかいないのです。

 

大げさな話をしているのではありません。

 

労働法を勉強するうえで、非常に重要な考え方なのです。

 

私たちは自分が思う以上に、人(専門家)の話を鵜呑みにしてしまいます。

 

「何でそれが正しいの?」と聞かれたら、こう答えていませんか?

 

最高裁の判決だから、弁護士が言ったから、偉い先生の教科書に書いてあったから…。

 

私はもう一度聞くでしょう。

 

「だから、何でそれが正しいの?」と。

 

私が見てきた学生の多くは、
条文をまるまる覚え、偉い先生の教科書を買い(買うだけ)、これまた裁判例の文章を暗記していました。

 

はっきり言いましょう。

 

そんなものは全くのムダです。

 

私は、条文など全く覚えていませんし、教科書は自分がいいと思ったものしか揃えず、裁判例の文章などひとつも覚えていません。

 

それでも、私は胸を張って労働法を教えることができます。

 

なぜなら、私には労働法の考え方がわかっているからなのです。

 

このサイトを最後まで読んでくれたあなたには、
私が何を言っているのか痛いほどわかるに違いありません。

 

 

 

私は、大学三年生の時に「労働法」と出合いました。

 

それまで憲法や民法や刑法など、今一つピンとこない法律ばかりこなしていた私にとって、
人々の生活が生々しく映し出される労働法は衝撃的でした。

 

そこには、解雇されて必死で戦う者、残業に次ぐ残業で遂に過労死してしまった者、職場内のメンタルヘルスに苦慮する使用者、頻繁に遅刻してくる者の扱いに悩む上司など、リアルな人間が描かれていたのです。

 

「労働法ほど、具体的な人間を想定し、一人の人間として扱い、人間を考察する学問は他にない!」とその時は思ったものです。(今では、多かれ少なかれどの学問もそういうものだと思っていますが。)

 

「労働法」を学習し始めてから、
私は社会の見え方がみるみる変わっていくのを感じ、
ますますこの学問を究めようと考えたのです。

 

ただ、労働法を学習する意義を考えたときに、
何も答えを持っていない自分がいることにはずっと悩んでいました。

 

今振り返ると、単なる自分の趣味で続けていたに過ぎませんでした。

 

労働法を専攻していることを周りに公言するようになってからは、
何度「労働法は使えないよ」と言われたことでしょう。

 

過労死やブラック企業、非正規雇用問題や残業代未払い問題をニュースで見る度に、
実際に私自身、何度「労働法は使えない!」と思ったことでしょう。

 

毎日のようにニュースで流れる労働問題に頭を抱え、
会うたびに聞かされる友人の不満にただ首をうなだれるだけの日々だったのです。

 

しかし、今ではそんな考えは持っていません。

 

法教育界で有名な伊藤真先生ではありませんが、
労働法を知ってしまった者の義務として、これを世に伝えていくことが必要だと考えるようになりました。

 

そもそも労働法が機能していないのは正しい労働法教育が行き届いていないからだ、
と思うようになったことも理由としてあります。

 

労働法教育がすべてではないことは百も承知です。

 

それでも、一人でも多くの人が正しい労働法の考え方を手に入れることで、
よりよい労働環境の形成ができるのではないかと考えています。

 

たとえば、働きすぎて死んでしまう、なんてことはどう考えてもおかしいのです。

 

本当に死んでしまうほど働くまえに、おかしいことに気がつくことが大事です。

 

自分を助けるのは、最後は自分なんだという意気込みで、
労働法を学ぶのもアリなのではないかと思うのです。

 

 

 

最後に言っておきますと(最後まで取り留めのない話ですみません)、
私は労働者の味方でも使用者の味方でもありません。

 

労働法を勉強していると言っただけで「労働者を救って!」という顔をされますが、
労働法そのものはルールでしかないことに気づいていません。

 

私ができることは、労働法を伝えることだけです。

 

ここで学習した労働法を使って、
行動を起こすなり、自分で考えてみるなり、
もっと勉強して他の人に教えてあげるなりするのはあなた自身であることを、
是非とも理解していただけたらと思います。

 

最後まで、ありがとうございました。