労働法の学習・勉強に

第19話 労働組合

 

今回から三回にわたって、集団的労使関係について扱います。

 

集団的労使関係とは何だったか、覚えているでしょうか?

 

労働組合と使用者の関係のことですね。

 

一人では交渉力に劣る労働者でも複数人いれば使用者と対等に渡り合える、と考えられています。

 

個別の労働者と使用者との労働関係(個別的労働関係)では、
最低限守られるべき労働条件のみを法律(労基法がそうでした)で規定し、
それ以上の労働条件は労働組合と使用者の交渉に任せようというのが労働法の考え方です。

 

したがって労働組合は、使用者と対等な交渉力を保持する組織として、重要な役割を期待されてきました。

 

しかし、わが国の労働組合の組織率は17.7%(平成25年度)まで落ち込み、年々影響力を落としています。

 

組織率というのは、「雇用者数に占める労働組合員数の割合」のことですが、この数字の低下の背景に何があるのかもう少し詳しく見てみましょう。

 

ここでは、最近の集団的労使関係の研究成果が集約された「様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会報告書」(以下、「報告書」)を参考文献に、かいつまんで説明させていただきます。

 

まず、わが国の労働組合を支えてきた正社員の減少が挙げられています。

 

正社員の割合が徐々に減少していることが組織率低下の直接の原因ですが、依然として非正規労働者に組合参加資格が与えられていない実態があることも指摘されています。

 

次に、企業規模別、業種別で組織率に大きな差があることが挙げられています。

 

平成25年度の統計では、1000人以上の企業規模では44.6%の組織率であったものの、99人以下の企業規模では1.0%の組織率だったことが明らかになっています。

 

また、「卸売業・小売業」、「宿泊業、飲食サービス業」など、非正規労働者が多い業種は、組織率が低いことがわかりました。

 

最後に、そもそも今の労働者は労働組合に対して関心が低いことが指摘されています。

 

他にもさまざまな要因が背景にあると考えられますが、
主に以上のような実態があることを踏まえて、
「報告書」では次のような懸念が示されています。

 

引用します。

 

「8 割を超える労働者に労働組合法の保護が及ばないという状況は、最低労働条件基準を法定し、それを上回る労働条件は労働組合と使用者との団体交渉に委ねることとした伝統的労働法モデルにおける集団的労使関係法の仕組みの機能が低下していることを示している。そして、この機能の低下は、雇用が不安定で、正規労働者よりもさらに劣位に置かれている非正規労働者にとっては、より深刻となる。」(「報告書」15ページ。)

 

このように、わが国の労働組合(または集団的労使関係)は危機的状況を迎えています。

 

ストライキは珍しい出来事になり、春闘は形だけのものになっています。

 

労働法もこうした実態を受けて、現在では個別的労働関係法を中心に議論されています。(このサイトにおける比重を見ても一目瞭然でしょう。)

 

集団的労使関係を通じて適切な労働条件を構築する意義は、もはや失われてしまったのでしょうか?

 

そんなことはありません。

 

労働組合が機能していないのであれば別の形を模索するのでもよいし、
正規・非正規を含めた多様な労働者の意見を集約できる仕組みを検討することだって考えられます。

 

要するに、「労働組合の弱体化」が問題の本質ではありません。

 

私が労働組合の危機を通じて感じるのは、やはり労働者自身の当事者意識の低さでしょう。

 

そんなことを言うと、怒られるかもしれません。

 

しかし、私はこのサイトを通じて何度も述べていることがあります。

 

それは、
「労働法」というのが私たちの生活とは別のところにあって、
いざというときには救ってくれる正義の味方のように捉えてはいないか?
ということです。

 

そうした考えを持っているなら、今すぐその考えを捨ててください。

 

もちろん労働法も法ですから、客観的には「正義」を実現する、体現するものとして存在します。

 

立場によっては、正義の味方のように映ることもありましょう。

 

しかし実際は、労働者と使用者の関係を規律するルールでしかないのです。

 

「いざというときに労働法が守ってくれる」のは、ある程度ルールについて理解があれば、の話です。

 

ルールについて何の理解もなければ、守りようにも守れない場面だって出てくるでしょう。

 

そして当事者意識の欠如以上に問題があるのは、その実態を招いた労働法教育の未熟さです。

 

わが国の労働者の大半は、働きだすまで働くことについての知識がほとんどありません。

 

それは非常に危険なことです。

 

しかし、正しい労働法教育がなければそのことに気がつくこともできません。

 

このサイトも正しい労働法教育の一環になっていることを望むとともに、
あなたにも、労働者と使用者が労働法の主体であるとの考え方を共有していただきたいと思います。

 

 

 

前置きが長くなりました。

 

ここからは、そもそも労働組合とは何かについて、ごく簡単に説明しましょう。

 

まず、労働組合の設立についてですが、許可・届出を必要としません。

 

また組織形態(職業別組合、産業別組合、企業別組合や職種・産業等を問わない一般労働組合があります)も問いません。

 

わが国の特徴は、企業別組合が中心であることです。(これも日本型雇用慣行のひとつです。)

 

このようにわが国では自由設立主義が採られていますが、
労組法の保護を受けるには一定の資格要件を満たす必要があります。

 

次の条文を見てください。

 

この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。(労組法2条本文)

 

上の目的を持つ組織が、労組法上の労働組合になります。

 

ただし、次の場合は労組法上の労働組合と認められません。

 

共済事業その他福利事業のみを目的とするもの(但書3号)

 

主として政治運動又は社会運動を目的とするもの(但書4号)

 

本文の目的にそぐわないからですね。

 

また、次の場合も労組法上の労働組合とは認められませんが、
団体交渉の当事者や正当な争議行為、正当な組合活動の主体になることはあります。

 

役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの(但書1号)

 

団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの。但し、労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すことを妨げるものではなく、且つ、厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与を除くものとする。(但書2号)

 

但書1号は、本文にいう「労働者が主体となって」という要件から派生するものです。

 

要するに、限りなく使用者に近い立場の労働者は、
労働組合にいてはいけないということですね。

 

ちなみに、「管理職」はどうでしょうか?

 

以前「労働時間」の回でお話ししましたが、
「管理職」と呼ばれていても労基法上の「管理監督者」にはあたらない場合がありました。

 

今回も同じで、
労組法2条但書1号にいう「使用者の利益を代表する者」と、
社内で「管理職」と呼ばれていることとは関係がありません。

 

裁判例では、「管理職」が労働組合に入っていたことによって、
「団体交渉に当たって使用者側の担当者となるべき者が存在しなくなる場合とか、利益代表者が当該交渉事項に関して使用者の機密事項を漏洩している場合など、労働組合に利益代表者が参加していることに起因して適正な団体交渉の遂行が期しがたい特別の事情がある場合には……使用者側の団体交渉拒否の正当な理由を構成する」(中労委(セメダイン)事件・東京高裁平成12年2月29日)と判断しています。

 

裁判所は、かなり限られた人物を想定していることがわかるでしょう。

 

そして、但書2号は、本文にいう「自主的に」の要件から派生しました。

 

労組法2条本文の要件のみ満たした組合を、「憲法組合」と呼びます。

 

労組法2条の要件をすべて満たした組合は、さらに労働委員会の資格審査を経ることで、ようやく労組法の適用の及ぶ労働組合(「法適合組合」)になります。(労組法5条)

 

 

 

 

今回は、労働組合とは何であるかについて、労働組合の危機についてお話ししました。

 

労働法の根底には、最低限守られるべきルールのみ法定し、それ以上は労使の交渉に任せるという基本的な考えがあった…。

 

どうか、このことだけは忘れないでください。

 

労働組合の将来に悲観し、すべてを国の規制にゆだねてしまうのか。

 

もう一度集団的労使関係の可能性を開き、健全な労使関係の再興を図るのか。

 

どちらが良いのか私にはわかりません。

 

しかし、一人ひとりが「働くということ」とはどういうことなのか、
考えておくことだけで何かしら見えてくるものはあります。

 

あなたも一度考えてみてはいかがでしょうか。