労働法の学習・勉強に

第15話 労働契約の終了@―解雇(1)

 

わが国のサラリーマンは、大学を卒業後、企業に就職し、定年まで勤め上げて退職するのが一般的です。

 

しかし長い人生ですから、何があるかわかったものではありません。

 

自らのステップアップのために他社へ移ったり、職そのものを変えたりすることもありましょう。
また企業が倒産してしまえば、労働者はそこで働き続けることができません。

 

定年、辞職、解雇。労働契約はさまざまな理由によって終了します。
中でも、最も押さえておきたい終了パターンは解雇でしょう。

 

解雇が使用者による労働契約の解除を意味することくらいは、誰でもご存知でしょう。

 

問題は、法律上認められる解雇と認められない解雇の違いは何か、ということですね。

 

先に言っておきますと(何度も言っていますが)、これから解説することが上の問いへの「答え」ではありません。

 

あなた自身で「答え」が導けるように、考えのプロセスを教えていきます。

 

「これは解雇されてもおかしくない!」とか、「この解雇は不当だ!」というのを、
自分で判断できるようになることほど心強いことはありません。

 

法律は「専門家の道具」ではありません。
法律はあなたでも使うことができる、否、あなたが使えるようになることでこそ真価を発揮するのです。

 

それでは、解説していきましょう。

 

 

 

労働契約の解約の仕組みは、期間の定めのない契約(正社員などの契約)と期間の定めのある契約(パートやアルバイトなどの契約)で異なります。
後者は次々回で触れますので、今回は前者のみ説明します。

 

多くの正社員は、期間の定めのない労働契約を結んでいます。

 

「期間の定めのない」といっても、
通常、定年が設けられていますので、そこまで働くことになります。

 

こうした契約を結んでいた労働者が、「会社を辞めたい」と思ったときはどうすればよいでしょうか。

 

この場合に参照するべき規定は民法にあります。ご覧ください。

 

当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。(民法627条1項)

 

どうですか?意外とあっさりしていると思いませんか。

 

「解約の申入れ」さえしてしまえば、相手の合意を得る必要もありません。
「解約の申入れの日から二週間を経過することによって」契約は終了するのです。

 

これには、使用者の圧力によって辞められない状況から労働者を保護する効果があります。
労働者が自由に辞める権利といってもよいでしょう。

 

でもちょっと待ってください。

 

条文をよく読むと、「各当事者は」と書いてあります。

 

すると、使用者だって「いつでも解約の申入れ」ができるのでしょうか?

 

そんなことはありません。
こちらについては、労働法の考え方によって民法の原則が修正されることとなります。

 

まず、労基法などの法律が制限していることがあります。
たとえば、国籍、信条、社会的身分を理由とする解雇(労基法3条)や産前産後休業期間及びその後30日間の解雇(労基法19条)はできません。

 

そして何よりも、わが国の解雇は、裁判所の作り出した「解雇権濫用法理」によって制限されてきました。

 

さて、今出てきた「解雇権濫用法理」とは何でしょう?

 

誤解を恐れずに言えば、「確かに使用者には解雇権があるけれども、行使できない場合だってあるよね、だから認めません」というのをかっこよく(専門的に)した言葉のことです。

 

「何にも説明になっていないじゃないか」という批判をしたくなるでしょうから、
正確な説明も用意しています。

 

解雇権濫用法理は、裁判所が解雇をめぐる争いを処理する中で形成された考え方ですから、
労基法などの法律を見ても書かれていませんでした。

 

現在では、その法理の内容が労働契約法(2008年制定)に書き込まれています。

 

見てみましょう。

 

解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。(労働契約法16条)

 

これが解雇権を制限するルールである解雇権濫用法理です。

 

何だか見覚えがありませんか?
「懲戒」の回で確認した、懲戒権行使の可否の法理と似ていますね。

 

「客観的に合理的な理由」や「社会通念上相当」という言葉を使っている点で、共通しています。

 

要するに解雇が許容されるかどうかも、
具体的な事例ごとに判断していくしかないということです。

 

何だかはぐらかされたような気になるかもしれません。
そんないい加減なルール、意味あるのか?と思うかもしれません。

 

しかし、ここまでの流れをもう一度振り返ってください。

 

もともと期間の定めのない雇用契約の解約は、双方とも自由にできるはずでした。
それは、民法が対等な当事者を想定して作られているからでした。

 

労働法は労働者と使用者の交渉力や経済力などの差を認め、民法を修正する法律です。
そうした趣旨から、労基法などの法律は、使用者側からの解約権(解雇権)を制限しているのです。

 

それでも、当初、解雇権濫用法理など存在しませんでした。
つまり、法律上は使用者の解雇権は、基本的に自由であるように見えていたのです。

 

それではなぜ、裁判所は法律上の規制とは別に解雇権濫用法理を作り出したのか。

 

それはまぎれもなく、日本型雇用慣行への対応でした。(わが国の労働契約の特徴は「労働契約の生成」でお話ししましたね。)

 

わが国の正社員は、一度就職すると定年まで同じ企業で勤めることが前提となっていました。
使用者は長期的な視点で労働者を育成し、企業内福祉を充実させ、人事の調整を行ってきたのです。

 

使用者も労働者もそうした日本型雇用慣行を意識し、期待していたために、
それを裏切るような態様でなされた解雇は、裁判所によって無効とされてきたといえましょう。

 

解雇が裁判所によって制限されてきたこと、それ自体に意味があるのです。
解雇権濫用法理はその集大成として、そのことを一言で表す言葉に過ぎません。

 

よろしいでしょうか?
ひとまず解雇権濫用法理は、労働法特有の修正原理と日本型雇用慣行への対応が反映されたものであることを理解してくださいね。

 

 

 

ここまでは、使用者には解雇権があるものの、法律や解雇権濫用法理の制限があることについてお話ししてきました。

 

ここからは、解雇そのものの話になります。

 

ここまで「解雇」とまとめて説明していましたが、実は、解雇には三種類あります。
それぞれ、「普通解雇」「懲戒解雇」「整理解雇」と呼ばれています。

 

「普通解雇」は、業績が著しく悪く指導を行っても改善の余地がない場合や、健康上の理由から長期間勤務ができていない場合などでなされる解雇をいいます。

 

「懲戒解雇」は、労働者の不正や非行が著しい場合に、最も重い懲戒としてなされる解雇のことです。具体的なケースは「懲戒」の回を参考にしてください。

 

「整理解雇」は、上の二つとは違い、労働者側の理由ではなく経営上の理由でなされる解雇です。いわゆる「リストラ」は、整理解雇のことです。

 

今回は「普通解雇」について、具体的な裁判例を見ていただきましょう。
(「整理解雇」は次回扱います。)

 

普通解雇をめぐる争いはいろんな形で現れますので、代表的な裁判例を挙げることはできません。
そこで、いわゆる正社員の解雇がどのような形で制限されてきたのかがわかる典型的なケース(高知放送事件・最二小判昭和52年1月31日)として紹介します。

 

まずは、事実の概要です。

 

Xは放送事業を営むY会社のアナウンサーでした。

 

Xは昭和42年2月22日から翌日23日にかけてファックス担当者Aと共に宿直勤務に従事していましたが、寝過ごしてしまい、
23日に担当予定だった午前6時から10分間のラジオニュースを放送することができませんでした。(これを第一事故とします。)

 

さらに、同年3月7日から翌日8日にかけてファックス担当者Bと共に宿直勤務に従事しましたが、ふたたび寝過ごしてしまったため、
8日に担当していた午前6時から10分間のラジオニュースを半分ほど放送できませんでした。(これを第二事故とします。)

 

Xは第二事故を上司に報告せず、
後にこれが発覚しましたが、事実と異なる事故報告書を提出しました。

 

Yは上記Xの行為が就業規則に定めた懲戒解雇事由に該当すると判断しましたが、
Xの再就職を考慮して普通解雇を行いました。(懲戒解雇だと雇用保険などの制度上で不利益を被ります。)

 

Xは行為に対して解雇は不当であるとして、Yの従業員としての地位確認請求を行いました。

 

さあ、あなたならどう考えるでしょうか。

 

裁判所の判断を見ていきましょう。

 

ひとまず裁判所は、Xの行為がYの就業規則で定めた普通解雇事由に該当することは認めました。

 

ただし、次のように述べてYの解雇権を制限しています。
引用します。

 

「しかしながら、普通解雇事由がある場合においても、使用者は常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情のもとにおいて、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときには、当該解雇の意思表示は、解雇権の濫用として無効になるものというべきである。」

 

ここで出ましたね。解雇権濫用法理です。
この一般論の後、具体的な事情を挙げながら判断が進められていきます。

 

続きです。長いですがここが一番大事です。

 

「本件においては、Xの起こした第一、第二事故は、定時放送を使命とするYの対外的信用を著しく失墜するものであり、また、Xが寝過しという同一態様に基づき特に二週間内に二度も同様の事故を起こしたことは、アナウンサーとしての責任感に欠け、更に、第二事故直後においては卒直に自己の非を認めなかった等の点を考慮すると、Xに非がないということはできないが、他面、原審が確定した事実によれば、本件事故は、いずれもXの寝過しという過失行為によって発生したものであって、悪意ないし故意によるものではなく、また、通常は、ファックス担当者が先に起きアナウンサーを起こすことになっていたところ、本件第一、第二事故ともファックス担当者においても寝過し、定時にXを起こしてニュース原稿を手交しなかったのであり、事故発生につきXのみを責めるのは酷であること、Xは、第一事故については直ちに謝罪し、第二事故については起床後一刻も早くスタジオ入りすべく努力したこと、第一、第二事故とも寝過しによる放送の空白時間はさほど長時間とはいえないこと、Yにおいて早期のニュース放送の万全を期すべき何らの措置も講じていなかったこと、事実と異なる事故報告書を提出した点についても、一階通路ドアの開閉状況にXの誤解があり、また短期間内に二度の放送事故を起こし気後れしていたことを考えると、右の点を強く責めることはできないこと、Xはこれまで放送事故歴がなく、平素の勤務成績も別段悪くないこと、第二事故のファックス担当者Bはけん責処分に処せられたにすぎないこと、Yにおいては従前放送事故を理由に解雇された事例はなかったこと、第二事故についても結局は自己の非を認めて謝罪の意を表明していること、等の事実があるというのであって、右のような事情のもとにおいて、Xに対し解雇をもってのぞむことは、いささか苛酷にすぎ、合理性を欠くうらみなしとせず、必ずしも社会的に相当なものとして是認することはできないと考えられる余地がある。したがって、本件解雇の意思表示を解雇権の濫用として無効とした原審の判断は、結局、正当と認められる。」

 

つまり、Xの寝過ごしは無視できるものではない行為だが、
・Xと一緒に寝過ごした者もいる(それもそちらは処分が軽い)
・Xは悪意をもって(ワザと)すっぽかしたわけではなく、反省もしている
・普段のXの勤務態度は悪くない
・Y側の対策も万全ではなかった(!)
…など、非常に細かく検討したうえで解雇権の濫用を認めました。

 

どうでしょうか。
これが、わが国の普通解雇の法的取扱いです。

 

裁判所という場所は、何だかよくわからない法律論を巧みに用いて判断しているようなイメージがありませんでしたか?

 

もちろん法律論を巧みに用いる場所ではありますが、
それ以上に、当事者の話をじっくり聞いてくれる場所なのです。

 

原告と被告の話をよく聞き、必死に判断材料(事実)を集めます。
判断材料が十分にそろったと裁判官が確信した時、はじめて法律を用いて判断を下すのです。

 

上で引用した長い文章は、裁判官が当事者から集めた判断材料を自らの見解を交えて処理している段階です。

 

判断材料(事実)無くして判断は不可能です。

 

いつも私が、「法律論を覚えているだけでは何の意味もない」と言うのは、
この思考プロセスに欠ける人があまりにも多いからなのです。

 

 

 

少し話が逸れてしまいました。

 

話を元に戻して、
最後に、以上を踏まえた持論を展開させてください。

 

よく労働法の仕組みを知らない人は、
「解雇権濫用法理は厳しすぎる」とか「解雇権濫用法理は正社員を保護し過ぎている」と言います。

 

しかし今回学んだあなたなら、この発言(特に前者)がいかに奇妙であるかがわかるでしょう。

 

前者の批判についてはこう答えます。

 

解雇権濫用法理そのものは抽象的な言葉であり、厳しいも何もありません。

 

批判論者には「解雇権規制の条文を変えろ」と言う人もいますが、
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という条文のどこをどう変えたいのでしょう?

 

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合であっても、その権利を濫用したものとしない。」としたいのでしょうか?

 

後者の批判については、半分くらい受け入れることができます。
解雇権濫用法理の生成には日本型雇用慣行が影響しているからです。

 

ただ、解雇権濫用法理の内容である「社会通念」は時の流れと共に変化しますので、
新たな雇用形態には解雇権濫用法理が自動的に対応していくことでしょう。

 

むしろ解雇権濫用法理に対する批判として受け止めなければならないのは、
具体性に欠けるということです。

 

どういう場合に解雇が有効・無効なのか、
真の結論は裁判所にもっていくまでわからないのでないかという疑問は、
労働法に携わる者ですら感じることです。(もちろん、ある程度の見当は付きますが。)

 

近年、「解雇規制の緩和論」が幅を利かせています。

 

しかしわが国の解雇規制の問題は、解雇規制が厳しいことではなく、解雇規制がよくわからないことにあるのです。

 

「解雇規制の緩和論」から「解雇規制の明確化論」への転換が求められていると言えましょう。