労働法の学習・勉強に

生活保護

 

私たちが生きているこの現代は、「リスク社会」と呼ばれています。

 

ふつうに暮らしていても、いきなり何かの危険に巻き込まれる可能性が高いとされる時代。
特に私たち日本人は、2011年3月の地震によって思い知らされたといってもよいでしょう。

 

もう少し話を小さくしましょう。

 

突然会社が不渡りを出して経営が行き詰まり、解雇されるようなことがあったら。
何にも落ち度がないのに、突然車が突っ込んできて障害を負い、働けなくなってしまったら。
元気でやってきたはずなのに、突然うつ病を患ってしまったり、がんを発症していることがわかったりしたら。

 

こういったケースがナチュラルに起こる時代です。

 

「働く人」を扱う法律が労働法だとすれば、
「働いていない人」、「働けない人」は労働法の対象から外れてしまいます。

 

「そんな人を放っておけばいいとでも言うのか!」

 

そんな声が聞こえてきそうです。

 

でも安心してください。

 

確かに労働法の対象ではありませんが、
「労働法の裏側をカバーする法領域」が存在します。

 

その法領域を「社会保障法」と呼びます。

 

社会保障法は、「社会保険」「公的扶助」の二つの柱で成り立っています。

 

「社会保険」には、「医療・介護保険」、「年金」、「雇用保険」などが含まれます。

 

これらに共通するのは、
ある特定のリスクに備えてみんなでお金を出し合いましょう、という考え方です。

 

他方で、「公的扶助」には「児童手当」や「生活保護」などが含まれます。

 

こちらは、予めお金を出していなくても、お金やサービスが受け取れる仕組みになっています。

 

今回はこの中から「生活保護」に焦点を当ててお話しするわけですが、
いきなり本題に入らなかったのには理由があります。

 

それは、「生活保護」があらゆる社会保障の手段のなかのひとつに過ぎないことを知ってもらいたいことと、
あらゆる社会保障の手段があるなかで本当に「最後の手段」であることを認識してもらいたいことにあります。

 

世間的には生活保護だけに注目してしまいがちですが、
これを読むあなたには、
全ての社会保障の中で生活保護がどう位置づけられているのか意識しながら理解するようお願いしたいと思います。

 

目次
@生活保護とは何か
A生活保護の存在理由
B生活保護はどうあるべきか

 

@生活保護とは何か

 

そもそも生活保護って何でしょうか?

 

働けないときにもらえるもの?じゃあ、何かしら働ける状態ならもらえない?
お金がないときにもらえるもの?それは手持ちのお金?それとも資産も含めて?

 

漠然としか知られていないために、しっかりと理解している人などほとんどいないでしょう。

 

大事なところをかいつまんで説明していきましょう。

 

まず生活保護の目的です。

 

この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、
その困窮の程度に応じ、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。(生活保護法1条)

 

具体的には、
(1)厚生労働大臣の定める基準によって計算される最低生活費と世帯としての収入とを比較して、
収入が最低生活費に満たない場合に差額を保護費として支給することで国民の最低限度の生活を保障するとともに、
(2)生活に困窮する国民の自立を助長することを目的としています。

 

最低限度の生活保障自立の助長の二つが目指されているのだと理解してください。

 

最低限度の生活保障は見ての通りの意味ですが、
自立の助長とは何でしょう?

 

よくこの「自立」という文言だけを見て、
「自分ひとりで生きていくこと」の意味で捉える人がいます。

 

広辞苑の説明でも「他の援助や支配を受けず自分の力で身を立てること。ひとりだち。」とされていますから、
一見生活保護の目的もそうした意味での「自立」を求めているかのように捉えられがちです。

 

しかし社会保障法の中で登場する「自立」は、そのような意味で考えてはいけません。

 

人は何らかの形で他者に依存していますから、
完全な「自立」はそもそも不可能であるとの前提に立って考えるのです。

 

つまり、他者からの支援等をある程度前提としながら「自立」が図られることを想定して制度をつくっている以上、
通常の日本語の意味での「自立」とは違う意味で考える必要があります。

 

話を戻します。

 

生活保護には四つの原理があります。(生活保護法5条参照)

 

まずは今確認した、国家責任の原理(生活保護法1条)です。
そしてそのほかに、無差別平等の原理(同法2条)、最低生活保障の原理(同法3条)、補足性の原理(同法4条)があります。

 

中でも補足性の原理が重要です。

 

保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。 (生活保護法4条)
民法(明治29年法律第89号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。 (2項)
前2項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。(3項)

 

1項が「稼働能力の活用」を定めたもの、2項が「扶養能力の活用」を定めたものです。

 

要するに、自分が持てる手段のすべてを尽くしてからでないと利用できないのが、
生活保護の特徴の一つであるといえるでしょう。

 

こうなると、車を持っていてもいいんだろうか、とか、
支給金の一部を貯金に回し学費に充てていた場合はどうなるんだ、とか、
それはもうたくさんのパターンが出てくるわけです。

 

ひとつひとつ見ていくとキリがありませんが、
車を仕事で使っていたなら仕方ないとか、貯金額が大きすぎるということがなければOKといったように、
常識の範囲内で判断するしかないというのが現状です。

 

それから、申請保護の原則、基準及び程度の原則、必要即応の原則、世帯単位の原則(7〜10条)という4つの原則があります。

 

生活保護は、これら4つの原理と4つの原則から成り立っているのです。

 

それでは次に、生活保護制度が設けられている理由を説明していきましょう。

 

A生活保護の存在理由

 

国が無拠出の者に対して補助をするという制度がつくられたのは、17世紀のイギリスにおいてでした。

 

資本主義の形成に伴って生み出された大量の貧民・困窮者のために制度がつくられたのは事実ですが、
制度の目的は貧民を救済することではなく、
貧民が社会不安を惹き起こすことを恐れ、その生活を管理しようとしたのです。

 

また自由放任主義(レッセフェール)思想の下、「貧困は怠惰の証」とされていたため、
制度の対象となるものは当然のように公民権を剥奪されていました。
(因みに今でもこの考え方の名残が見られます、「雇用保障」の回も参照。)

 

しかし、多発する失業と貧困者の増大を前に、
いつしか貧困は社会全体の問題と捉えられるようになっていきました。(随分早送りしましたが。)

 

戦後、急速に経済成長が進むのと同時に、社会保障制度全体も飛躍的な進展を見せました。

 

社会保障制度の発展の根拠となったのは、何といっても「生存権」でしょう。

 

以下の条文をご覧ください。

 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(憲法25条1項)
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。(憲法25条2項)

 

泣く子も黙る憲法25条です。

 

今でこそ「あって当たり前」の感覚で生活していますが、
たったこれだけの条文を追加するまでにどれだけの年月がかかったのか、
さらには真に実現可能に至るまでどれだけの年月がかかるのか思うだけでも、
生存権の尊さをはかり知ることができるのではないでしょうか。

 

生活保護の存在理由を一言で言ってしまえば「生存権を実現するため」であり、
確かにそうなのですが、それが長い歴史の積み重ねから現れてきたことも忘れてはなりません。

 

B生活保護はどうあるべきか

 

生活保護とは何か、生活保護の存在理由は何か、理解していただけたでしょうか。

 

まあ、理屈はわかるけどやっぱり腑に落ちないという方もあると思います。

 

それは、不正受給の問題があるからですね。

 

どれだけ理念が素晴らしくても、
実態の部分に問題があれば理念倒れになってしまいます。

 

まさに生活保護の歴史は、理念の達成に向けた「適正化」の繰り返しであったと言っても過言ではありません。

 

これまで三度にわたる「適正化」と何度かの「改正」を経験した生活保護制度ですが、
不正を排除するとの名のもとに、真に必要とする者への支給が害されることが度々起こりました。

 

どうしてこのような理念と実態の乖離が生じてしまうのでしょうか?

 

簡単に答えを出すことはできませんが、二つ考えられます。

 

ひとつは財政的な制約、もうひとつは国民感情です。

 

年々増大する社会保障費ですが、生活保護費が占める割合はそれほど大きくありません。
しかし、生活保護費はお金を拠出していない者に対して支給するという性質を持つため、
なるべく支給を控える傾向にあることが考えられます。

 

それから国民感情ですが、これは結局、
「働かざる者食うべからず」の感覚が残っているからなのでしょう。

 

いやもちろん、不正受給に対して抱く怒りは持つべきものですが、
無差別に生活保護の受給に対する嫌悪感を抱くのは間違っています。

 

生活保護に対する正しい知識の不足も、こうした感情に影響しているものと思われます。

 

残念ながら、生活保護の捕捉率(生活保護水準を下回る世帯のうち、実際に保護を受給している世帯の占める割合)は30%程度だといいます。

 

本当に必要とする者に対して、保護がいきわたっていないのです。

 

それでは、具体的にはどうすればよいのでしょうか?

 

これも簡単な問題ではありませんが、ふたつ挙げましょう。

 

ひとつは、ケースワーカーの増員、質の向上です。

 

生活保護行政において、実際に支給の決定やその後の支援を行うのがケースワーカーです。

 

非常に重要な役割を任されるにもかかわらず、人員の不足と専門性の欠如が見られるのが現状です。
すぐには難しいですが、一刻も早い対応が望まれるところです。

 

もうひとつは、政府による広報活動の強化です。

 

生活保護受給対象者の中には、
「もらえるなんて知らなかった」または、「もらうことに非常に抵抗がある」といった事態が見られるといいます。

 

私自身も歩いていたら突然お金をめぐんでほしいと言われたことがありますが(これは軽犯罪法で処罰の対象ですよ)、
本当に生活保護制度を知らなかったのだとすればこれは問題です。

 

生活保護は生存権を具現化するものとして欠かせない制度であること、
いざというときに「最後のセーフティネット」の機能を果たす社会保障手段であることを、
一人でも多くの人が知り、教えてあげなければならないのです。

 

 

 

社会保障はさまざまなリスクに対して、個々人が備えたり、社会がカバーしたりと、
様々な形によって提供されています。

 

最も望ましい形は、みんなでお金を出し合って(拠出して)それを担保し、
誰かが事故に遭遇した時はそのお金を使うという方法です。(これが「保険」という技術です。)

 

しかし、出すお金がないところまで追い込まれてしまった者に対しては、
無拠出でも給付が受け取れるといった形が編み出されました。(これが「扶助」です。)

 

ところが、社会全体が豊かになるにつれ、
「社会保険」と「公的扶助」の関係が曖昧になっていることを指摘しておかなければなりません。

 

実際、社会保険であるところの「国民年金」や「介護保険」などの財源の一部には、税金が含まれています。

 

「自分のお金」が生活保護費に回るのを嫌がる感覚は理解できなくもありませんが、
文句を言う前に、一度、社会保障制度全体を見渡してみましょう。

 

「自分のお金」は思いのほかいろんなところに回っていますし、
回りまわって自分もその恩恵を受けていた、なんてことに気づくのではないでしょうか。

 

「自分のお金」の行き先が生活保護しか見えていないのだとすれば、非常に視野が狭いと言わざるを得ません。

 

最初に社会保障制度全体の中で生活保護を捉えて欲しいといったのは、
あなたが思う以上に社会保障の仕組みは複雑かつ多様だからです。

 

さて、今回のテーマは「生活保護」でした。

 

労働法学習サイトで社会保障法を学んでしまったのは不本意かもしれませんが、
どうぞ自分が今まで見えていると思っていた物事を疑い、
視野を広げて考える癖をつけていただきたいと思っています。

 

※昔書いた論文(共著)が出てきたのではっておきます。死ぬほど暇なときに読んでみてください。

 

新たな社会保障法観からの生活保護再構築(PDF)