労働法の学習・勉強に

職場におけるプライバシー

 

プライバシーという言葉は誰でも知っているでしょう。

 

しかしどういう内容がプライバシーなのか具体的に示せと言われると、
正確にこれこれこういう場合と挙げるのが難しいのではないでしょうか。

 

プライバシーの領域は人それぞれといったところがありますし、
世代間に差があるのでは?と感じることもあります。

 

これが法律上のプライバシーともなると、
「人それぞれ」というわけにはいきません。

 

定義が難しいにしても、何らかの基準で「これがプライバシーだ」というものを示さなければ、
プライバシーがあると主張することすらできないのです。

 

さらに職場におけるプライバシーということになると、
難しいことこの上ありません。

 

みんなで協力し合って仕事を進めていく中で、
まるっきり仕事の話ばかりで人間関係を成り立たせることは不可能でしょう。

 

職場という特殊な空間の中でどこまでプライバシーという考え方が機能するのか…。
(そもそもプライバシーという考え方を持ち出すことすら嫌がる人もありそうです。)

 

今回はその存在が認められているにもかかわらず、未だ不明確な概念である「プライバシー」について触れ、かつ職場におけるプライバシーという観点から考えてみることにします。

 

目次
@プライバシー権とは
A職場におけるプライバシー
Bどのような形で問題になるか

 

@プライバシー権とは

 

プライバシーという考え方は、もともとアメリカでつくられたものでした。

 

個人と社会を対比すればまず個人を優先する国でありますので、
プライバシーがアメリカで生まれたのも全く自然のことだったといえましょう。

 

この考え方がわが国にも取り入れられ、
初めて裁判所において権利として認められたのが1964年のことです。

 

どんな裁判でプライバシー権が争われたかというと、
ある小説の内容がフィクションでありながらあまりにもリアルに書かれており、
そのモデルとなった人物が私生活を暴露されたと主張したものでした。

 

プライバシーというともっと身近な権利のように感じますが、
初めて認められたときのプライバシーは規模の大きな話だった、という点に興味を惹かれます。

 

というか、同じようなことを事件の当事者となってしまった小説家も述べています。

 

こんな事件のために、プライバシー権という画期的な概念に色がついてしまった…。

 

この小説家、三島由紀夫。
問題となったのは『宴のあと』という小説でした。

 

『宴のあと』事件は著名人が関係していたのもあって社会的に注目を集めましたが、
法律の世界においても十分に影響を与えるものでした。

 

当事件の判決(東京地判昭和39年9月28日)において、
プライバシー権は「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」として理解されるべきだとしたうえで、
具体的には次の内容が保護の対象となるとしました。

 

(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること
(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること
(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたこと
※加えて、「当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しない」

 

このように、『宴のあと』事件で法的な権利として認められたプライバシーですが、
実のところ未だ最高裁では明確な定義が示されていません。

 

それだけプライバシーというのはつかみどころのない概念といえますが、
概念自体は最高裁も認めていますし、プライバシーの侵害が不法行為にあたることも確認されています。(『逆転』事件、長谷川事件報道訴訟を参照。)

 

それではこの「ないようである」プライバシーが、
職場という場においてどう表れてくるのか考えてみましょう。

 

A職場におけるプライバシー

 

日本人は職場への帰属意識が高いことで知られています。

 

個人の生活が職場内でオープンにされているほど風通しがいい会社で、
職場は家族ぐるみであるという感覚が根付いていました。

 

これをどう捉えるかは人それぞれですが、個々の権利意識が高まり、
わが国にも少しずつ社会とは別のパーソナルスペースを持ちたがる人が増えてきたのも事実です。

 

そこで、まずは職場におけるプライバシーを検討する意義を考えてみましょう。

 

ひとつは、適度の距離を持った人間関係の形成のため
もうひとつは、労働者が秘匿しておきたい私的領域に不必要に干渉しないようにするためといわれています。

 

労働の現場において使用者は労働力を利用する上で、労働者の個人情報を取得・利用することが必要です。
その際労働者は、労働力に関係する個人情報を使用者に提供することで、自らのプライバシーの制約を受けざるを得ません。

 

労働者のプライバシーが無制限に認められると考えることはおよそ不可能ですが、
労働力に関係しない情報に使用者が深く介入することもまた避けなければならないのです。

 

それでは、労働者のプライバシーはどのように侵害されるのか整理してみましょう。

 

労働法学者・道幸哲也先生の著書『職場における自立とプライバシー』(日本評論社、1995年)では、
五つの分類がなされています。

 

・労働者に対して私事を申告、表明させること
・労働者の行動や私生活に対する監視・調査活動(休暇中にGPS付きの携帯電話を持たせる等)
・私事もしくは私生活上の行為を理由とする処分や解雇(度が過ぎていれば話は別です)
・労働者のプライバシーを直接侵害はしないものの、プライバシーの開示に一定の優遇措置を設けること
・使用者が第三者に対し、労働者に無断で情報を開示すること

 

どうでしょうか?

 

言葉にすれば「まあそうだろうな」と思うかもしれませんが、
なお抽象的でわかりにくいかもしれません。

 

職場におけるプライバシーは、具体的にどのような形で問題になるのでしょうか?

 

Bどのような形で問題になるか

 

職場におけるプライバシーは、古くは職場における私物の調査といった形で問題になっていました。

 

ただ、労働者の権利としてのプライバシー権と、使用者の権利としての懲戒権のバランス問題として考えられていたわけではなく、
もっぱら使用者の懲戒権の行使が可能か否かの判断がなされていたにすぎませんでした。

 

その後プライバシーとの関係で問題となったのは、職場における私用メールとその調査についてでした。

 

インターネットに関するリテラシーが高まった現在ではあまり問題にならないかもしれませんが、
インターネットが普及し始めたころは、会社のパソコンから私用メールを出すことの可否が問われたものでした。

 

そして、プライバシーをめぐる問題で最もセンシティブかつ重要なのは、労働者の健康情報の取り扱いです。

 

健康情報は個人情報の中で特に厳格に取り扱わなければならないとされており、センシティブ・データとも呼ばれています。
しかし、使用者は労働者に対して安全配慮義務を負うとされていますから、
プライバシーに配慮しつつ労働者の健康を守らなければいけないという困難な対応が要求されています。

 

例えば、労働者が健康情報を秘匿したまま健康障害が発生したら、法的にどう処理すればよいのでしょう?

 

労働者のプライバシーを重視するならば、
労働者自身が秘匿していた部分について使用者は責任を負う必要がない、と考えることになるでしょう。

 

プライバシーを重視しすぎることで、むしろ労働者にリスクが生じることになるのです。

 

しかし、過労死という言葉がが広く知られている現在、
労働者の健康情報はもっぱら個人のものでなくなってきているともいえます。

 

結局、秘匿されるべき健康情報とは何か、きちんと精査する必要があるといえましょう。

 

 

 

プライバシーという言葉がわが国に広く浸透してから、随分と時が経ちました。

 

未だに「新しい権利」に分類されることもあるプライバシー権ですが、
そろそろ権利としてふさわしいほどに明確化する必要があるのではないでしょうか。

 

プライバシー全体の問題としてとらえるよりも、
健康情報の取り扱いの問題、企業による私生活監視の問題など、
それぞれ個別の問題として取り上げたらよいのではないかと考える見方もあるでしょう。

 

しかしながら、それではわざわざ「プライバシー」という概念が生み出された意義を忘れてしまうことになります。

 

今一度プライバシーを捉えなおすこと、その上で職場におけるプライバシーを考えることが必要だと考えます。