労働法の学習・勉強に

安全配慮義務

 

労働者が労務に従事しているときに、ケガを負ったり、病気になったり、
最悪の場合は亡くなってしまうことがあります。

 

わが国ではこうした場合、
国に対して「労災認定」を求めることと、直接使用者に対して損害賠償請求することが認められています。(詳しくは「労働災害補償」の回をご覧ください。)

 

「労災認定」は使用者の故意・過失とは関係なしに、
業務に起因していたか(業務と災害との間に相当因果関係があるか)だけを判断基準にします。

 

一方、使用者に対する損害賠償請求が認められるためには、
労働者の損害について使用者の故意・過失が必要です。

 

ここで考えていただきたいのは、
「使用者の故意(ワザと、意図的に)や過失(うっかり)によって生じる労働者のけが・病気ってなんだろう?」
ということです。

 

例えば、工事中に頭上からスパナが落ちてきて、ある労働者が大怪我を負ったとしましょう。

 

本来その工事を行う際は、ヘルメットを常時着用していなければいけなかったにもかかわらず、使用者が指導を徹底していませんでした。

 

使用者は言います。
「普通ヘルメットをかぶっておくのは当たり前だろう!それくらい自分で判断しろ!」

 

…これは例ですのでヘルメットを着用しないで工事をすることはまずないでしょうが、
それを置いておくとしても、使用者側の言い分はわかります。

 

どこまでが「自己責任」(労働者自身の責任)で、
どこからが「使用者責任」であるのか
一言で言い表すことができない難題であることは間違いありません。

 

労働法はこの難題に対し、
どのように理論を組み立て、問題を処理してきたのでしょうか?

 

 

 

近代市民法の原則から確認してみましょう。

 

対等な当事者Aが「ここで働いてください」、
当事者Bが「ここで働かせてください」、
という意思の合致の下で雇用契約を結んだとしましょう。

 

Aがしなければならないこと(要するに「義務」ですね)はBが提供した労務に対して報酬を支払うことであり、
BがしなければならないことはAに対して労務を提供することです。

 

本来であれば、これ以外の義務は(約束していないのですから)生じていないはずですよね。

 

しかし労務を提供する&労務を受け取る関係というのは、
物を売る&買う関係とは性質が違います。

 

使用者は労働者の精神的・身体的活動をある程度制限して労務の提供を受けるのですから、
当然それなりの待遇はしなければならないという考えが出てきました。

 

こうした考え方はドイツから導入したと言われています。

 

使用者が労務の提供を受けるために場所設備、機械、器具等を提供する場合は、
労働者の生命・健康の危険が生じないようにしなければならない

 

ドイツではこれを保護義務と呼び、労働契約に当然付随する義務としてその存在が認められていたのです。

 

これが日本に取り入れられ、現在では、
使用者が労務の提供を受ける際に労働者に対して講じなければならない義務、
すなわち「安全配慮義務」があるとされています。(「労働契約上の権利義務」の回もご覧ください。)

 

 

 

さて、ここからは話の第二段階です。

 

近年は工場での事故の防止といった場面に加えて、
長時間労働に伴う脳・心臓疾患等の健康被害や業務に起因する精神疾患に対しても、
使用者が責任を負わなければならない(「安全配慮義務」の範囲である)とされるようになっています。

 

しかし特に精神疾患のケースに顕著なのですが、
病気の発症には個人差が大きく、
どこまで自己責任でどこからが使用者責任なのか非常に判断が難しくなってきます。

 

さらには、病気の悪化がもととなって自らの命を絶ってしまうケースになると、
ますます「使用者の責任」を認めることが難しいというのはご理解いただけるでしょうか?

 

ここからは、
業務がもとで精神疾患にかかった労働者が自らの命を絶ってしまった場合、
どこまで使用者の安全配慮義務が求められるのか、という究極のケースを考えてみましょう。

 

残念なことにこうしたケースは少なくありませんし、裁判例も多くあります。
裁判所は、使用者の安全配慮義務をどこまで求めているのでしょうか?

 

ここでは、最も著名な裁判例(電通事件・最二小判平成12年3月24日)を取り上げましょう。

 

まずは事実の概要です。

 

平成2年4月1日、大学を卒業したAはY会社に採用され、ラジオ局ラジオ推進部に配属されました。

 

ラジオ局では、取引相手との酒の付き合いが多かったほか、深夜にわたる業務も多く、時に徹夜や休日労働をすることもありました。(以下、該当部分を抜き出します。)

 

「監理員巡察実施報告書によれば、Aが、休日も含め、深夜午前2時以降に退館した社員として同報告書に記載されているのは、平成2年6月に1回、同年7月に4回、同年8月に5回、同年9月に2回、同年10月に3回、同年11月に5回、同年12月に6回、平成3年1月に10回(そのうち、監理員の巡察や、社員の退館時刻等が記載された「時間」欄に、徹夜と記載されているのは2回)、同年2月は8回(そのうち徹夜と記載されているのは4回)、同年3月は7回(そのうち徹夜と記載されているのは2回)である。また、休日出社名簿については、平成3年1月1日から同年4月29日までの分だけが提出されているところ、これによると、Aが休日に出社している日数は、平成3年1月に1日、同年2月に1日、同年3月に3日、4月に2日である。
 Aが取得した平成二年度の休暇は、0.5日である。」

 

なお、Yでは残業時間につき労働者の自己申告制が採られていました。

 

Aは長時間労働を続けるうちに平成3年7・8月頃うつ病にり患し、
不自然な言動(上司に「僕、霊にとりつかれちゃったみたいなんですよね。」と言ったり、仕事でイベント会場に向かう車の運転で蛇行やパッシングをしたりした)があったにもかかわらず、Yは何の措置もとりませんでした。

 

Aは平成3年8月27日、自宅で亡くなっているのを発見されました。

 

そこでAの親族XらはYに対して、
Aが異常な長時間労働によってうつ病にり患し、結果として死に追いやられたとして損害賠償を求めたのが本件です。

 

ここからは裁判所の判断です。

 

1審(東京地判平成8年3月28日)は、
Aの長時間労働とうつ病、うつ病とAの死の間にそれぞれ相当因果関係があったことを認めました。

 

その上で、
Aの上司らがAの長時間労働や健康状態を知っていたにもかかわらず、
労務の軽減などの措置を取らなかったことを重くみてYの安全配慮義務の違反を認め、
約1億2600万円の損害の支払いを命じました。

 

続いて2審(東京高判平成9年9月26日)の判断は、1審とは少し違ったものでした。

 

Yの安全配慮義務の違反を認めたところまでは同じでしたが、
Aにも過失があったと述べたのです。

 

それは次のポイントです。

 

@Aの性格がもともとうつ病気質だった(「うつ病親和的性格」と述べられています)
AA自身で十分な休息を確保する必要があった(スポーツマンであったとみられるAは、忙しい合間を縫ってダイビングに出かけていたという事実認定があります)
B業務の裁量労働的性質から、より適切な時間配分の可能性があった
C精神科への通院、休暇の取得の可能性もあった
D家族も対応可能であった(Aの両親も異変には気付いていました)

 

以上から2審は、損害額から3割の過失相殺(3割分の減額)を認めました。

 

X、Yともに判決を不服として上告しました。いよいよ最高裁の判断です。
ここからは最高裁の判決文を引用しながら説明していきましょう。

 

「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。」

 

まずは「安全配慮義務」の存在を確認しています。
これはいいですね。

 

「原審は、右経過に加えて、うつ病の発症等に関する前記の知見を考慮し、Aの業務の遂行とそのうつ病り患による自殺との間には相当因果関係があるとした上、Aの上司であるB及びCには、Aが恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失があるとして、Yの民法715条に基づく損害賠責任を肯定したものであって、その判断は正当として是認することができる。」

 

Yに安全配慮義務違反があったことを認めています。
ここまでは1審、原審(2審)と一緒です。

 

続きです。

 

「身体に対する加害行為を原因とする被害者の損害賠償請求において、裁判所は、加害者の賠償すべき額を決定するに当たり、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、損害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等の心因的要因を一定の限度で斟酌することができる(最高裁昭和59年(オ)第33号同63年4月21日第一小法廷判決・民集42巻4号243頁参照)。この趣旨は、労働者の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同様に解すべきものである。」

 

上記の引用文の意味はわかるでしょうか?

 

民法722条2項とは、過失相殺というルールを定めた条文です。

 

例えば、歩行者が狭い通りからいきなり飛び出して車と衝突したとしましょう。
車のほうも、慎重に運転していれば十分よけられたのですが、
ぼんやり走行していたために事故を起こしてしまったとします。

 

この場合、いくら被害者と加害者が存在するとはいえ、
0:10ではあまりにも不公平です。

 

そこで被害者にも過失があった場合は、
損害額を割り出してから7:3とか、6:4といった寄与度を考慮し、
損害額の減額を行うのです。

 

先ほどは交通事故のケースを例に出しましたが、
このルールは労働の現場にも当てはまりますよ、と確認したのが上の引用文です。

 

次を見てみましょう。ここからが重要です。

 

「しかしながら、企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。」
「したがって、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないというべきである。」

 

世の中には多様な性格を持った人間がいます。

 

Aのようにまじめで責任感の強いとされる労働者は、
多少無理をしてでも仕事をこなそうとします。

 

使用者側からすればそういったタイプは大変ありがたいし、貴重なはずです。
しかしそれだけに、そういった労働者の健康や安全に配慮する必要も出てくると述べたのです。

 

あまりにも特異な性格でない限りは、
それぞれの労働者の性格に合った配慮が必要とされたのであって、
そうでない普通の性格から起因した健康障害等は労働者の過失に含めてはいけないとしました。

 

非常に人間味あふれる判決と言えるでしょう。

 

「これを本件について見ると、Aの性格は、一般の社会人の中にしばしば見られるものの一つであって、Aの上司であるBらは、Aの従事する業務との関係で、その性格を積極的に評価していたというのである。そうすると、Aの性格は、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものであったと認めることはできないから、Yの賠償すべき額を決定するに当たり、Aの前記のような性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を斟酌することはできないというべきである。」

 

原審(2審)の判断は覆され、その後の和解でYが1億6800万円を支払うことで決着しました。

 

 

 

電通事件が衝撃的だったのは、
使用者の安全配慮義務が過失相殺されることなく認められたことではありません

 

そのような(劣悪な)労働環境が当たり前の状態で放置されていたことが明らかになったことにあるのです。

 

いまや使用者の安全配慮義務は、
労働者の物理的な事故から、精神的な損害まで幅広く及びます。

 

そうした背景に何が隠されているのか、
一つ一つ解きほぐしていく必要があるのです。

 

今回のテーマは、
どこまでが「自己責任」(労働者自身の責任)で、
どこからが「使用者責任」であるのか、でした。

 

ですが、それにとどまらないストーリーや側面を見せたつもりです。

 

ですから例えば、
「電通事件=〜が明らかになった事件でしょ?」といった短絡的な理解をしないでください。

 

なぜその事件が起こり、そこにどんな問題が潜んでいるのか、
労働法という学問を学ぶ以上、
自分なりに考え、整理し、理解することが必要です。

 

そこのところを、ぜひともよろしくお願いしたいと思います。